仏教の禅宗の教えに「十牛図」というものがあります。
禅宗の目指す「悟り」の境地への過程を、段階的に分かりやすく説明したもので、童子が牛をどのように飼い慣らしていくかを、物語にして表現しています。「牛」は真理(悟り)であり「童子」を自分に置き換えて観てみましょう。
「心の問題」や「うつ」に悩む人にとって、心を上手に乗りこなしながら、不安や心配のない舞台に立つことが、切なる願いではないでしょうか。
暗く長いトンネルに入り込んで、心身ともに停滞している人に参考になるのではないかと思います。
ここでは十牛図の示す、前半の五つのステップを紹介します。
1:尋牛(じんぎゅう)
たずねゆく みやまの牛は見えずして ただ空蝉の声のみぞする
・トラウマや劣等感などにもがき苦しんでいる状態から、迷いや不安の無い安らぎに満ちた「真の自己」の存在(牛)を見つけようとする段階。近い将来の自分に希望や光を求めて踏み出す第一歩です。
2:見跡(けんせき)
こころざし ふかきみ山のかいありて しおりのあとを見るぞうれしき
・「真の自己」はまだ見つけられていないが、人の経験談や書籍ネット等から学び、医療やカウンセリングを受けて「希望」への手がかりを掴んでいる段階。
3:見牛(けんぎゅう)
青柳の いとの中なる春の日に つねはるかなる形をぞ見る
・医学や薬に頼るばかりではなく自分と向き合い、取り組んできた修養や研鑽によって「真の自己」の存在を一時的に感ずることができた段階。
4:得牛(とくぎゅう)
はなさじと 思えばいとどこころ牛 これぞまことのきづななりけり
・「真の自己」を確信しそれを定着させようとするが、妄想や悩みが浮かぶと真の自己から離れ、元の自分に戻ってしまう段階。
5:牧牛(ぼくぎゅう)
日かずへて 野飼いの牛もてなるれば 身にそう影となるぞうれしき
・「真の自己」を掴かみ我がものにしたが、思ったように自由自在に乗りこなせていない段階。
人を苦しめる煩悩から迷いや妄想が起きても、時間を掛けて牛を飼い慣していけば、自分から離れることのない「影」のように従ってくる。真の自己が身近なものとなる。
先人達も、煩悩や妄想を抱きつつ「真の自己」を求め、悩みと真摯に向き合い続けた結果、悟りの境地に入っていったことが分かります。
長いトンネルを「自分の力」で通り過ぎると、元の自分に後戻りすることがありません。是非、そこに確信をもって自分を育んで下さい。