周囲の人を苦しめたり、貶めたり、煩わしたり、決して尊敬するに値しない人が、身近に存在しているかもしれません。
自らの悩みや迷い、雑念と向き合い、自分を正す、あるいは律していくタイプの人は言うなれば「自分で泳げる人」です。
反対に常識から外れたり、犯罪に手を染めたり、他人を傷つけたり、悪を重ねてしまう人間は、自分では泳ぐことの出来ない「溺れる人」です。
仏さんがまず、救いの手を差し伸べるのはこの「溺れる人」だと、親鸞は諭しています。
人間の表に出ている一部の行動や側面だけを見て、善人であるとか、悪人などと決め付け、意識的に責めたり、攻撃したり、寛容できない等、強い激しい感情を持ち続けているよりも、少しそこから離れてみましょう……。
その人間がそう行動してしまうには必ず理由があり、育ち方や生活環境、人間関係や生まれもった「業」がある筈です。
人間は向上を求めて生きる動物です。
生まれ替わりの次の命では、きっと違った生き方を歩むだろうと感じます。