2019年

3月

28日

空想の力

人はその信ずる如く在る

 

自ら弱しと思う者 弱し

自ら成し得ると思う者 成すことを得

 

人はその心と同じ生活をもつ

 

憎まば憎しみを得 愛さば愛を得

自ら貧しと思う人 いつも貧し 

貧しと思うこと 己に貧し

 

空想は意志を支配する

 

顔を赤くせんとするも 赤くならず

覗き見しまいと思えば いよいよ覗き見したくなる

 

空想をマスターする者 現実を支配す

 

常に倦かず 欲求しつづけること

 

                     晴 哉

2018年

10月

17日

十牛図に学ぶⅡ

十牛図」後半、五つの段階を紹介します。

 

後半ではより深淵な「悟り」の世界に入っていき、容易には実践できそうもない「境地」を説明してくれます。

 

こころの問題を抱える人達にも、更に自分を解放していく生き方を示してくれるものとして参考にしてください。

 

6:騎牛帰家(きぎゅうきか)

 すみのぼる こころの空にうそぶきて たちかえりゆくみねのしらくも

 

「真の自己」を我がものにして、その自己(牛)に乗って我が家に帰るの意である。真の自己と我が一体となって心の平安を得て、我を意識で制する必要がなくなった段階。

牛が無心であれば、我も無心の状態となって、山中などで修行を積んだ者が山から下りて、人里に戻ってくる姿を現している。

 

7:忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)

 よしあしと わたる人こそはかなけれ ひとつなにわのあしと知らずや

 

家に戻り安らぎの中で生活していると「真の自己」を掴まえたことを忘れ、真の自己自体を忘れている境地に入った段階。

「真の自己」を獲得したという悟り自体がこだわりであり、それを求めていた理由を忘れ、捉えた真の自己を忘れ、捉えたことも忘れてしまう。

 

8:人牛俱忘(じんぎゅうぐぼう)

 雲もなく つきもかつらも木もかれて はらいはてたるうわの空かな

 もとよりも こころの法はなきものを ゆめうつつとは何をいいけん

 

牛を捜し捕まえようとしていた理由を忘れ、捉えた牛を忘れ、捉えたことも忘れてしまう。そして「忘れる」ということも無になった段階。

悟りもなければ、悟られた法もなく、悟った人もないという境地。

 

禅宗では円を描いた「円相」でその境地を現すことが多い。

 

9:返本還源(へんぽんげんげん)

 法のみち あとなきもとの山なれば 松はみどりにはなはしらつゆ

 

「鏡」のように、移り行く世界の姿をありのままに、分別のないきれいな心で見てゆく段階。

静かに眺めてゆけば、善もなければ悪もない、損もなければ得もない、迷いもなければ悟りもない、鏡が物を映すがごとくに世界の姿をありのままに映していける。

我もなければ牛もなく、我と世界との対立もない。時間も空間も超越し、何も思うことがない無垢の心が、宇宙と一体となることである。

  

10:入鄽垂手(にってんすいしゅ)

 手はたれて 足はそらなるおとこやま かれたる枝に鳥やすむらん

 悟りを開いたところで、再び世俗の中に入って、悩める人々を安らぎの世界へと導くことに我を生かす段階。

 

牛を尋ね、足跡を見つけ、牛をとらえて、牛を飼い馴らし、牛に騎って我が家にかえってきた。帰ってきたら牛を忘れてしまって、そこに自分だけが残る。そして牛も自分も忘れてしまい、天地の森羅万象がそのまま宇宙の根源であると、徹して生きるのである。

 

2018年

10月

06日

十牛図に学ぶⅠ

仏教の禅宗の教えに「十牛図」というものがあります。

禅宗の目指す「悟り」の境地への過程を、段階的に分かりやすく説明したもので、童子が牛をどのように飼い慣らしていくかを、物語にして表現しています。「」は真理(悟り)であり「童子」を自分に置き換えて観てみましょう。

 

「心の問題」や「うつ」に悩む人にとって、心を上手に乗りこなしながら、不安や心配のない舞台に立つことが、切なる願いではないでしょうか。

暗く長いトンネルに入り込んで、心身ともに停滞している人に参考になるのではないかと思います。

 

 ここでは十牛図の示す、前半の五つのステップを紹介します。

 

1:尋牛(じんぎゅう)

  たずねゆく みやまの牛は見えずして ただ空蝉の声のみぞする

 ・トラウマや劣等感などにもがき苦しんでいる状態から、迷いや不安の無い安らぎに満ちた「真の自己」の存在()を見つけようとする段階。近い将来の自分に希望や光を求めて踏み出す第一歩です。

 

2:見跡(けんせき)

  こころざし ふかきみ山のかいありて しおりのあとを見るぞうれしき

 ・「真の自己」はまだ見つけられていないが、人の経験談や書籍ネット等から学び、医療やカウンセリングを受けて「希望」への手がかりを掴んでいる段階。

 

3:見牛(けんぎゅう)

  青柳の いとの中なる春の日に つねはるかなる形をぞ見る

 ・医学や薬に頼るばかりではなく自分と向き合い、取り組んできた修養や研鑽によって「真の自己」の存在を一時的に感ずることができた段階。

  

4:得牛(とくぎゅう)

  はなさじと 思えばいとどこころ牛 これぞまことのきづななりけり

・「真の自己」を確信しそれを定着させようとするが、妄想や悩みが浮かぶと真の自己から離れ、元の自分に戻ってしまう段階。

 

5:牧牛(ぼくぎゅう)

  日かずへて 野飼いの牛もてなるれば 身にそう影となるぞうれしき

・「真の自己」を掴かみ我がものにしたが、思ったように自由自在に乗りこなせていない段階。

人を苦しめる煩悩から迷いや妄想が起きても、時間を掛けてを飼い慣していけば、自分から離れることのない「」のように従ってくる。真の自己が身近なものとなる。

 

先人達も、煩悩や妄想を抱きつつ「真の自己」を求め、悩みと真摯に向き合い続けた結果、悟りの境地に入っていったことが分かります。

 

長いトンネルを「自分の力」で通り過ぎると、元の自分に後戻りすることがありません。是非、そこに確信をもって自分を育んで下さい。

2018年

9月

25日

NHK「東洋医学~ホントのチカラ」を観て

NHK総合テレビで「科学で迫る東洋医学 鍼灸・漢方薬・ヨガ」が放映されました。

東洋医学の効果を科学的に解明しようという番組で、タレントが実際に鍼灸治療を受け、科学的な見地から治療効果を検証するという内容でした。

 

一般に知られているツボの皮下組織の解剖図では、多くの神経や血管が集まっているところがツボと呼ばれる場所であったり、いくつものツボの流れとして考えられている「経絡」についても、理解しやすい内容でした。

例えば「肩こり」を治療する場合に、痛みのある局所に鍼を打つだけでなく、経絡の流れに従って、痛みや違和感を感じる「反応点」を治療の対象として、鍼を打ち治療効果を上げる東洋医学の技術が披露されていました。

 

特に興味を持って注目したのは、アメリカ空軍が鍼灸治療を取り入れて、急激な痛みや不快感の解消に「耳ツボ鍼」を導入していることでした。

戦場で「ぎっくり腰」などになった場合、兵士は充分な治療を受ける時間など無く、動けなければ命にかかわる症状となります。緊急の痛みに対して、簡単で効果の高い治療法が研究され、鍼灸の耳つぼ治療が採用されたとのことです。痛みを短時間で軽減し、動ける状態にまで回復させることに、有効であると証明され、その手軽さも注目された点です。

 

実際に臨床的に観察すると、耳つぼ鍼は直接脳に働き掛ける効果が高く、痛みは軽減しますが、痛めていた筋肉が、必ずしも弛んだり、柔軟になっていることは稀なので、アフターケアーを要すると思われます。

 

ダイエットにも耳ツボが紹介されていましたが、効果が継続する人と余り効果が出ない人があるため、童心舎では骨盤を締める手技を同時に施し、ダイエット効果を高めています。体にとって秋口から冬が、ダイエットには一番向いている季節なので、興味のある方はご相談ください。

 

今回の放映では、耳ツボ治療の可能性が大きく取りざたされ、注目を集める結果となり、私自身も今後、治験と研鑽を深めて、耳ツボの可能性を広げる技術を開拓していく所存です。

2018年

9月

19日

瞽女(ごぜ)小林ハルの人生に学ぶ

小林ハルさんは、盲目ながら数々の試練を乗り越え、人間国宝である無形文化財の保持者として晩年、黄綬褒章を受けた女性です。

その105年の生涯は、平和を享受できる現代では想像もつかぬ生活の中、歯を喰いしばり生き抜いて来られた方です。

 

江戸時代から昭和の初期頃まで北陸の日本では、盲目の子供が生まれると、家族が村から差別を受けることを恐れて、間引きしたり、芸の世界に売り飛ばすなど、人身売買の習慣があったそうです。

 

ハルさんは比較的裕福な家庭に生まれたため、命を絶たれたり、身売りされるようなことは無かったものの、生きてゆくために五歳で三味線の師匠に弟子入りします。

芸を身に着ける過程において、殴る蹴るの教育は日常的に繰り返され、一日の食事も充分に与えられぬ環境の中、必死に生き延びてきました。

 

書籍を読むと、想像を越える暴力や金銭の搾取、差別と厳しい偏見に晒されながら、ひたすら沈黙を守り、生きてこられた姿が浮かんできます。この生き方には、自然と頭が下がる思いを抱きます。

 

映画「ダンサー・インザ・ダーク」の主人公ビヨークの人生を思い出しましたが、ハルさんが経験された試練の数々は、真実の恐ろしさを感じ、人間の行動の裏にある、心の闇や歪み、残酷さをも感じ取れます。

もしも私がハルさんの立場であったらと考えると、様々な試練には耐え切れず、生きること自体を諦めてしまうのではと思う次第です。

 

現代人が日常生活で抱く、職場や組織内での愚痴や妬み、身近な周辺で起こる人間関係の摩擦やいざこざなど、衣食住の恵まれた環境の中で生活しているにも関わらず、人間の不寛容なこころの使い方や姿勢に対し、不平不満をこぼしていることさえ、小さく見えてしまいます。

 

You Tubeでハルさんの三味線と唄声を聞きながら、顔に深く刻まれた皺の人生と、その芸の深さを身体で感じ取ろうと試みております。 

2018年

8月

15日

「師」との別れ

これまでの人生で友人や知人・同僚や恩師など「死」を伴う別れに度々、遭遇してきました。遠い異国で事故に巻き込まれた無念の死や、志半ばでの病死など、思い起こすと今でも残念でなりません。

その都度、故人の生き方や言動を思い返し、悲しみに支配される時間と、それを乗り越える時期を経て、彼らの生き様を自分の心に焼き付けて来たように思えます。

 

四か月前「我が師匠」と仰ぐ方が急逝され、胸に大きな風穴が開き、虚空を彷徨うような喪失感に陥っていました…。

 

時折弾ける師の激しい感情表現に、幾度となく萎縮し冷や汗を掻きましたが、それが師の「情愛」裏返しであることに気付くまで、時間を費やしました。自分が今日まで築いてきた狭い「価値観」の打破には、私の呼吸の間隙を観て、直球の言葉を投げ入れて下さいましたが、それが「肚」に本当に落ち着くまで、自己否定に苦しんだ日々もありました。

 

野口整体の思想哲学を理解し、しっかり咀嚼する時期が訪れるまで「待つ」という姿勢を貫いて下さった「師」のお陰で、肚の底から湧き上がる生き方の道標と、心身の調和の大切さを自覚することができました。

 

世間体や世の常識、他人の目に囚われることなく、信ずる「道」を命懸けで追究する師の姿に、底知れぬ深みと魅力を感じながら「畏怖」に似た感情を抱きつつ、教えを乞うた月日でした。

 

猛烈でエネルギーの塊のような人柄から放たれる、厳しい言葉と教えの数々が、私の潜在意識の奥底に叩き込まれていることに気付きます。

羅針盤を失ったようで、今後どのように自分に向き合っていくかと、不安と寂しさが交錯していますが、何故か満ち足りた勇気が湧いてきます。

 

良き出逢いこそ人生の「宝」である……心より感謝を込めて、そう言い切れます。

私もいつの日か師のように、人を良き方向に導ける人物になりたいと願います…。

2018年

6月

16日

痛風の洗礼

突然、右足親指の付け根に強い痛みを感じ、歩けなくなってしまった中年の男性が駆け込んで来ました。

親指付け根は赤く熱を持って腫れ上がり、しばらく動けないだろうなぁ…と率直に思わせる状態です。

 

 風が吹いただけでも痛むという「痛風」の症状です。

 

ご本人には数ヶ月前から、右足の親指付け根周辺にモゾモゾとした違和感があり、足首や膝の痛みがありました。さらに股関節にも、痛みに似た異常を感じていました。仕事に支障が無かったので気に留めず、激務に励み、気が付くと地面に足を着けないことになっていました。

 

最近は仕事のストレスから飲酒の量が増え、つまみや食事の量も増えてしまい、この三ヶ月で体重が10キロほど増えていました。

季節柄、生しらすやマグロの刺身など好んで食べており、お酒はビールで始まり、日本酒・ウイスキーで終わるという酒豪さんです。

 

また運動はほとんどせず、食べたら寝るという生活が続いていました。

 

痛風は栄養過多と太りすぎが原因とされていますが、肝臓の解毒作用が追いつかず、尿や便からの「尿酸」の排出が追いつかない状態です。

 

胸椎と腰椎への刺激を施し、肝臓の活性化と腎臓の排泄能力を高める施術を進めていきます。並行してアルコールの取り過ぎを改善し、水分摂取量を可能な限り多くして、排泄作用を高めていくことが重要です。

ご本人と話し合いながら「運動メニュー」を作成し、余分に着けた体重をそぎ落としていく意義と目標を身体に刻んでもらいます。

 

身体からの痛みの信号を感じたら、まずそれを見逃さず、自身の日常生活をを省みる余裕を身に付けたいものです。これが習慣となれば、歩くことが出来ぬほどの大事には至らず、事前に病気を回避できます。

 

食事は満腹感を求めるのではなく「味がしなくなったらそれ以上食べない」お酒も「酔わなくなったらそこで止める」ということを、少しずつ実践してみましょう!

 

2018年

5月

28日

赤ちゃんの要求

赤ちゃんが誕生して13ヶ月間は、一生の基盤をつくる、とても大切な期間と云われています。

この期間、親の生活は赤ちゃんの「要求」を中心に行動すべきです。

丈夫に育つ基盤さえキチンとしておけば、後はどんな環境に置かれても、 乗り越えられる素養が身に付くと云います。

 

要求」を素直に表現するような赤ちゃんに育てることが大切です。

親の都合でその要求を無視したり、要求を優先しないことを繰り返すと、 子供はそれを表現しなくなります。

 

 「信頼があれば、要求を表現する

 

要求を表現ができないようになった子供は、自発性を失います。

指示されたことを指示された通りにやるものの、何故こうするのかと考えることをしません。

そして爆発的に要求を出すか、無口で強情な自閉的行動を取るようになったり、もしくは病気を抱えるようになります。

 

喘息やアトピーなどを抱える子供の後ろには、それを治そうとしながら、 命令やにらみを効かせ、それを止めない口うるさい親が存在します。

 

赤子の時こそ、親の「気」が子供に存分に集中し、要求を常に満たしてあげることこそ、一人前の元気な子供を育てることなのです……たおやかに。

 

2018年

5月

10日

蹴りの名手

競技選手の高い柔軟性はとても重要です。

「より高く、より速く、より強く」を追求していく人であれば、筋肉やメンタルを育てていくだけでは目標に到達できません。

怪我をしない、故障しても早期に回復を高めるためにも、筋肉や骨格を柔らかく保つことは大切な条件です。

 

格闘技のハイレベルな選手が来院しました。

彼は「蹴り技」で一流になろうと決意し、日常生活で両手を使うことを抑え、脚の動きが自由自在になる「稽古」を積んでいきます。

 

・高い位置に貼った日めくりカレンダーを毎日めくる

・窓の開け閉めと施錠

・床にある物を拾う

・トイレの扉や引き戸などの開け閉め

・家中の電気のスイッチのオンオフ

・雑誌を読みながらページをめくる

・洗濯物を干す、たたむ

・コップで水を飲む

・スプーンで食事をする

・足の指も自在に使えるように訓練する等

 

握手も無意識に足でしようとして、友人からは狂人扱いを受け、礼儀作法も捨てていたと語ります。

 

年間を通じて脚だけの生活を実践した結果、どこからでも、どの角度からでも思い通りの「蹴り」が瞬時に出せるようになったそうです。

 

ひとつの物事を追求していく、深く掘り下げていく「姿勢」に、その取り組み方と「情熱」を感じます。

 

他のスポーツ選手でも、参考にできるところが多々あるように思えますね……。

2018年

5月

01日

「鯉のぼり」に学ぶ

近所の山の中腹にある「徳願寺」に、今年も大きな「鯉のぼり」が飾られました。ここは静岡市街と安倍川、駿河湾を見下ろせる場所で、美しい富士山も眺めることが出来ます。

 

鯉のぼりを観察していると、風に揺られて優雅に泳いでいますが、口から尾びれの先まで自由自在に動いています。「風」が胴体を通り、尾ひれに抜けていく中で、横風も受けて、生き物のように体をくねったり、捻って泳いでいます。

布一枚でできている鯉のぼりには、どこにも硬さや詰まりがなく、ゆったりとした空気の流れに身を任せ、川を泳ぐが如くに存在しています。

 

人間のからだを観ると「筋肉」は収縮することが仕事ですが、使わないときは自在に伸びていることが自然です。

収縮した筋肉が何らかの原因で弛まず、首や肩が凝ったり、腰が張った痛みは、筋収縮を維持した状態とも云えます。

 

不快感や自覚のある人がストレッチに取り組み、緊張した筋肉を伸ばす体操に勤しんでいますが、効果のある方と効果のない方の違いはどこにあるのでしょうか?

ストレッチにおける外見のフォームは大切ですが、眼に見えぬ内面の動きに意識を持っていくことが大切です。硬くなっている筋肉が「脱力」できれば、弛んだ柔らかい状態に戻ることができる筈です。

 

ポイントは「呼吸」と脱力するという「意識」です。

 

「脱力」するということは、目標となる筋肉に「力を抜く」という命令と、そこに息を吹き込んでいくイメージ動作が必要です。

難しさが伴い、容易に実践できないため、痛みや凝りが改善しにくいと思われがちです。

 

頭の思考が何物にも捉われず、ポカンとした状態で「脱力」を目指していく!不快感も痛みも「息」の流れに浮き、体内から消滅していくのです。

 

鯉のぼりの空気の流れは「荘子」の表現する「真人は踵で呼吸する…」という真理と一致するのでは…と想像を広げています。

 

2018年

3月

14日

人を裁くということ

「人を理をもって裁けば、己も理をもって裁かれる」

 

聖書に出てくる言葉ですが「人を裁く」ことで、自由で寛容な気持ちを見失っていることに気付いていますか?

 

人の行為や失敗を見て「この人はダメだ…この人は役立たず…この人は嫌い」などと、自分の価値観を基準に他人を裁いている意識のことです。

 

自分を基準に他人を「白・黒」と分類するごとく裁いていますが、世の中は「多様性」で成り立っている事に実感が持てると、「裁いている」自分に、人としての「包容力」が低下してることに気付く筈です。

 

「裁き」が習慣になると自分本位のため、他人の欲求が読めず、相手が何を欲しているかを感じられません。私が好きだから相手も好むだろう、私が良いと思うから相手も良いだろうと、他人への善意の行為が、迷惑になってしまう事が起きます。

 

 人を観る「勘」が鈍ってしまい「勘」が使えなくなります。

 

また人を無意識に「裁いている」と自分で自分を「裁く」ことに繋がります。失敗をした自分が情けない…ダメな奴だ…などと裁き、自己否定を繰り返し、頑固で厳しく遊びのない「雰囲気」を抱くことに繋がるのではと思います。

 

 人を裁くことをしなければ、自分を裁くことからも離れられます。

 

自由で型にはまらない行動と思考、価値観があって良いのです。多様性を認める気持ちを育てると、自分も「快」に生きられます。

 

 融通無碍(ゆうずうむげ):行動や考えが何の支障もなく、自由で伸び               伸びしていること

 

「裁く」自分の存在を知ったならば、他人も心地好く、自分も心地の好い「境地」に近づける意識を、我の中に育んでいきたいものですね…。

 

2018年

3月

11日

花粉症への切り札

「花粉症」に罹っている人には、辛い季節が始まっています。

眼が痒い・鼻水が止まらない・のどが痛む・息ができない・風邪を引いたように悪寒がする……など症状はまちまちです。

 

病院で処方された薬や市販薬で対応している人の中に、薬の効果が実感できず、症状が軽くならない人がいます。そんな方に勧めているのが「蒸しタオル」です。

 

お湯の中に厚めのタオルを潜らせ、眼や後頭部・肩甲骨の間・首の付け根を直に温める方法です。

 

お湯の温度ですが、人によって「熱」の感じ方が違いますので、肌が火傷をしない程度にタオル温度を調整します。

少し熱めのお湯に入れ、タオルを絞ると冷めてきますので、自分の肌がどの位の温度で気持ち良く感じるかを確かめて下さい。

 

一般的に肌が敏感な人ほど低温でよく、高温でないと効果が実感できない人もいます。

 

私の場合、約65℃のお湯に浸けてからゴム手袋でタオルを絞り、50℃前後になったところで両目に被せます。体調によって肌の感受性も違い、温度も異なることが分かります。

 

肌に当てたタオルが徐々に冷えてきますが、冷たくなったと感じるまで当てておきます。一度当てると肌がピンク色になり、眼の痒みがたいぶ収まってきます。

何度か繰り返し、後頭部(首と頭の境目)ボンノクボと呼ばれる所にも当てると、更に症状が軽くなります。

 

ものは試し…苦しんでいる人が救われる事を祈ってます!

 

2018年

2月

28日

信念と勇気の体現

原因の分からぬ「腰痛と股関節の痛み」でMさんが来院しました。

 

年商何十億円と云う化粧品製造会社で働くOLさんで、全国的にも名の知れた会社ですが、創業当時からの家族経営の体質が幅を利かせ、労働者としての「権利」が与えられないまま4年間以上、悩み続けて働いていました。

 

従業員150名の内、正社員が全体の2割弱で、他はパート職員で成り立っているそうです。

社内には労働組合の活動がなく、従業員には「有給休暇」が与えられず、 休むと欠勤扱いを受けていました。また「産休」という制度が運用されず、出産を控えた女性は、暗黙の了解の中「退職」していくことが習慣となっていました。

 

アットホームな会社の演出で、従業員の誕生日には自宅に豪華なケーキが届き、ボーナス時には商品券が配られ、売り上げが好調であれば、食事会が催されるという待遇を受けていました。

この会社の計らいに「有給や産休」など、従業員は権利を主張してはいけないという雰囲気が、社内に蔓延しているようです。

 

仕事仲間に有給の相談をすると、聞きつけた古参のパート職員は、会社の肩を持つ態度でMさんに接し、仲間はずれにされる気配を感じていました。

 

「これだけしてくれる会社なのだから、嫌なら貴女が辞めればいいじゃない…!」

 

会社に見切りをつけて退職していく、多くの有能な社員さんを見送ってきたMさんでしたが、我慢することに理不尽を感じ、一人で会社側と交渉していく腹を決め、具体的な行動に出ました。

労働基準監督署に実名で相談し、証拠となるものを揃えて提出、監督署が動きだし、会社側に公的な「指導」が入ったということでした。

 

会社側からMさんは「厄介者」とレッテルを貼られ、他の古参パートからは冷ややかな視線を感じながらも、応援してくれる従業員さんを味方に付け、今後も交渉を続けていくという、強い闘志がみなぎっています。

 

Mさんの腰痛と股関節の痛みの場合、筋肉には張りと緊張があり、股関節に可動制限が見られますが、対人関係から起こる情動が原因とみられ、背骨には弾力と「力」があり、腰が据わって、物事に真っ直ぐ集中し、忍耐していける「からだ」をしています。

 

逆境に負けず「使命感」を持って、自分の命を活かしていく姿に、力強い「生命の輝き」を感じました。

自分の命をどのように生きてゆくのか、自分の心をどのように使っていくのか、からだの内側から湧き出る「欲求」をしっかりと捉えています。

一人でも行動していくというその「勇気」に、周囲の方々も心を動かされる時が訪れることでしょう…。

 

2018年

2月

06日

自分のマイナス面

Nさんは幼い時から「あなたの性格の悪いところはこういうところ、考え方の欠点はこんなところ…ぜんぶ直しなさい!」などと、母親から細かく言われながら育ちました。

母親の「価値観」から見た、性格の善悪や行動の良し悪しを、事あるごとに指摘され、厳格に型にはめられる様に育てられました。

大人に成長し独立してからも、自分の「短所」を探しながら改善していく事が、生き方の中に染み付いていました。

 

「自分のここを直せば良くなる…ここを変えればもっと出来るようになる」

 

Nさんは現在教員として活躍されていますが、自分を律し、行動を正すことを常として、自分に厳しく、他人に優しいタイプの方です。

自分の欠点だと思えるものを「異常」と捉え、その「異常」を探し、追い続けることが、自分を向上させる唯一の方法であり、無意識に「異常」だけ追い求めていく姿勢が伺えました。

 

人間の内面には、美しいものや醜いもの、優しい心もあれば意地悪な心もあります。プラス面もマイナス面も共存し、考え出すと次々と脳裏に浮かび、度を越えると「自己否定」に陥ってしまいます。

 

「見る角度を変えたり、他人の眼から見れば、人間の長所は短所にもなり、 短所は長所にもなり得ます」

 

私という「人間」は、こんな考え方を持ったり、こんな行動を取る「癖」があるんだという、自己へ性格や方向性に理解を持ち、自分を受け入れてみてはどうでしょうか。

 

今までのように「異常」ばかりを追うではなく、良いところ「正常」を追いかけてみると、自分にとって掛け替えのない、大切なものが見えてきます。

自分の愛しいところや可愛いところが自分で分かってきます。

「正常」を追いかけ、自身を認めることができると「否定的なもの」が姿を消していきます。

 

どうぞ童心を動かして、考え込まず、無垢の自分を観ていく……一休みしてみましょう!

 

2018年

1月

19日

生まれたままの「こころ」

人は誕生してから長い年月を掛けて、学習や経験を通し「心」を育てています。その知識や体験から「育てた心」によって、社会生活を送っていますが、この「心」によって、「素の自分」を縛ることになり、本心が生かされず、体調を崩していくことがあります。

 

社会のルールや家庭の躾けの中で「これをしてはいけない・あれをやってはいけない」等の教えや「悪い事はせず、良い事をしなさい」と教育されても、本心や意識以外のところで行動したり、厳しさの反動で、欲求通り行動をして、周囲に迷惑を掛けてしまった等という経験は、誰にもあります。

 

人には誕生してから、後天的に創り築いた「心」ではなく、意識以前にある、生まれながらの「こころ」が存在しています。「天心」と云えるこの心は、自らの命を守ったり、人生の方向性を司っていくものです。

植物は太陽に向かって、大きく花を咲かせますが、知識や学習からの動作ではなく、ありのままの「天心」を生きているのです。

 

責任感が強く、真面目で几帳面な性格が強くなると、周囲の目や体裁が必要以上に気になり、心身の自由を奪われてしまいます。行動する際、自分の意志が中心とならず「世間の眼」が基準になってしまいます。

 

意識して作ってきた「心」と意識以前の「天心」というものが、誰にでも存在します。生活の中で窮屈さを感じるようになったら、自分本来に備わっている「こころ」を感じてみる。

「天心」に従って行動してみると、より心地の良い、他人がどう思うかなどという不安など「どうでもいい…」という心境が開けてくる筈です。

生まれた時の「こころ」を捜してみてはどうでしょう…!

 

2018年

1月

02日

猫も幼児も

赤ちゃんが誕生し、お兄ちゃん、お姉ちゃんになるお子さんがいます。

母親が新生児に手が掛かりっぱなしで、兄妹に気が行き届かなくなることは、よくありがちです。

「もう、お兄ちゃん、お姉ちゃんなんだから我慢して…、赤ちゃんが先で  しょう……。」

などと言われても、三~四歳児では、まだ理解できません。

 

先日、保護された生後二ヶ月位の子猫を家で飼い始めました。

すでに二歳半の「先住ネコ」がいたのですが、子猫の世話に意識が集中し、先住ネコが二番手になってしまいました。

 

 一週間ほどして、先住ネコが体調を崩してしまいました。

 

苦しそうにえずくようになり、排便も勢いがなく、食いしん坊が食事を摂れなくなりました。最初は子猫に気を掛ける素振りをしていたのですが、違う部屋に行き、隠れるようになりました。

 

小猫が来た早々、先住ネコがマウントの姿勢を取り、毛がむしれるほど噛み、後ろ足で引っかいたため、驚いて先住猫の尻を初めてはたいた事がありました。

後になって考えれば、これは猫同士の挨拶で、小猫に怪我を負わせるような気性の、先住ネコではありませんでした。

 

「しまった…!」と気付いた時には、先住ネコとの関係が崩れてしっまていました。

 

ネコの症状は「病気」ではなく、精神的不安から来ていることをすぐに悟ることができました。初心者の私には、まったく予期せぬ出来事でした。

 

「生きものとしての感情は、人間も猫も変わりはないんだ……」

 

飼い猫にも一般社会同様の序列があり、新入りは玄関先から生活を始め、徐々に先住ネコの住居空間に入って行かせるものです……とのアドバイスを受けました。

そして、先住ネコの前で一度、子猫を大声で叱りなさいと……すると上下関係がしっかりします……実践してみると、先住ネコの顔つきが変化し、態度も体調も、日に日に回復していきました。子猫はやんちゃなままです。

 

そして家庭内での優先順位を確立し、何でも先住ネコが最初、そして新入りは後という序列を実践しております。

 

さて本題である、幼いお子さんを抱えるお母さん、お父さんは、忙しさのあまり、幼児に対してお兄ちゃん、お姉ちゃんだから…という「大人の理屈」を分からせようとします。

「躾け」のつもりで言葉を掛けていますが、幼児にはまだ理解できません。

知らぬ間に幼児の「心」にキズを受けることもあるので、繊細さをしっかりと理解して、お子さんと接してください……。

 

お兄ちゃん、お姉ちゃんに今までと同じ、愛のある「気」を掛け続けて下さい!

 

2017年

12月

18日

中心を観る

「どんな家具や荷物でも、中心が分かれば、簡単に運べます。重い物でも、 中心さえ見えれば、余分な力を使わずに動かせます…。」

 

小柄な引越し屋のAさんは、想像を超える重い物でも一人で運んでしまいます。この道で何十年と培ってきた「勘」が、中心を瞬時に捉えている様に見えます。

 

しかし、中心を捉えることに長けても、動かす人の「腰」が決まっていなければ、大きな家具は運ぶことが出来ません。

 

日本舞踊の踊りやクラシックダンス、お茶の作法や書道の書初めでも「腰」が決まり、腰を中心に動いている人の芸は、自然で美しい。

 

勝負の世界でも戦う以前に、相手の坐り方や立ち方・呼吸の深さ・腰の坐り等を観ただけで、その実力は判ってしまうものです。

 

 からだの「中心」が定まり、充実していることが大切なのです。

 

迷いがあり、なかなか前に進めず、躊躇ばかりが日常となっている人も、中心が空洞であると決断や行動が伴いません。

 

ものごとの中心を捉え、自分の中心を決め、中心から行動してみる。

そういう意識を高めてみると、新たな自分を発見できるかも知れませんよ……!

 

2017年

11月

15日

頭の疲れと腕の関係

頭を長時間使い続け、疲労が蓄積し、元の状態にリセット出来なくなっている人を、多く見かけます。

目が痛む、肩が凝った、首が回らない、頭痛がするなど、症状の訴えはその疲労度によって異なります。

 

頭が疲れると誰もが経験するように、物事が入っていかず記憶も出来ないとか、新しい発想やアイデアが浮かんでこないなど、活動が停滞ぎみになり気持ちも奮い立ちません。受験や資格試験に臨んでいる方々、ライターさんなど仕事で毎日机に向かっている人にとっては、深刻な悩みでしょう。

 

頭を使いすぎると「腕」が疲れ、筋肉や肘が硬く緊張してきます。

ジムでのトレーニングのせいではありません。

「腕が疲れてくると、頭もスタックしてしまいます」

腕が疲れると発想の展開も鈍くなり、頭の切り替えも難しくなってきます。

 

肩を揉んだり、首を回したり、肩甲骨・上半身のストレッチなども有効ですが、まず手首や指・腕全体を弛めることに努めてください。

 

それには両手首をしっかりと振って関節を弛め、親指をゆっくり引っ張り、一呼吸置きます。そして前腕の筋肉をタオルを絞るように弾いてみます。力を使って、力んでやるものではありません。

もし肘のくぼみに痛みがあれば、肘を動かし回しながら、ゆっくりと痛みが消えるまで押さえてみましょう。最後に両肩を上にあげてから前後にストンと脱力して何度か下に落とします。必ず指先の力を抜いて行ないます。

 

腕を弛めると頭がクリアーに復活してきます。是非、お試しあれ……。

 

2017年

10月

09日

ゆるみとたるみ

「ゆるむ」「たるむ」の違いを「からだ」において考えてみましょう。

 

「ゆるむ」という言葉は、心や精神の緊張がゆるむ・口元がゆるむ・警戒がゆるむ・張り詰めたものがゆるむ・弦がゆるむ・ネジがゆるむ・地盤がゆるむ・筋肉がゆるむ等で用いられます。 

 

「たるむ」という言葉は、油断する・くだびれる・なまける・ロープがたるむ・脂肪がたるむ等、なんとなく「気」が行き届いていないイメージを持ちます。

 

「からだ」に当てはめてみると、筋肉の緊張が解けリラックスして「ゆるむ」ことと、筋肉が「たるむ」ことは同じような外観に見えて、全く異なるものです。

 

「ゆるむ」ことは、筋肉がいつでも収縮できる、運動できる状態であり、滞りや疲労がありません。

「ゆるむ」が極まれば、穏やかで、自然と深い呼吸となり、腹の下まで深く息が入っていき、頭も聡明に働くようになります。

 

「たるむ」ことは、神経の命令に筋肉が反応せず、血液やリンパ・体液の循環が悪くなり、呼吸も浅くなり、下腹部の気が抜けた状態になります。

自由な発想も浮かびにくい、このような身体は、外部からの刺激を受けても、反応が鈍く、好転変化に時間が掛かり、なにより「引き締まり」が必要な「からだ」と言えます。

 

太っていることと「たるむ」ことは同じ状態ではなく、太っていても刺激に対して敏感に反応し、変化ができる身体もあります。

 

「たるむ」状態でいることに気付かず「ゆるむ」状態だと勘違いして、日常生活を送っている方がいますが、まず自分の「からだ」に眼を向けてみては如何でしょうか。

 

「ゆるむ」と「たるむ」を「からだ」で感じてみましょう……。

 

2017年

10月

01日

自分を守る技術

自分を苦しめたり、追い詰めていくような「想像や考え」が途切れなく浮かび、真面目な性格さ故、更に自分を追い込んでしまう人がいます。

無意識のうちに繰り返してしまう、その人の資質の癖があり、自身に気付いていない人が多くいます。

 

必要以上の過敏な不安や恐れが浮かんで来ない「こころ」と「からだ」をゆっくり育てていけば良いのですが、それまでにどの様に「情動」と取り組んでいけばいいのか、悩んでしまうことでしょう。

 

頭の中に次々と浮かび上がる空想や心配に、相撲のように四つに組んでいると、潰されたり、弾き飛ばされたりしてしまいます。

 

自分を攻めて来るものに対して「相手にしない」という態勢が整っていれば、傷付いたり痛める事はありません。

苦しまない為のアイデアが浮かばない時は、からだを動かして考えてみることです。からだを使うことは良き発想への「ヒント」に繋がります。

 

からだの動作には、避ける・捌く・流す・かわす・さがる・吸収する・移動する・逃げる・動き続ける・見切る・フェイントするなど、我が身を安全な位置に保ったり、身を守る技術がありますね。

 

 オリジナルの自己流の避け方、我が身の守り方を見つけていくことです。

 

剣の世界で云えば「妄想」を切り捨てる・一刀両断する「一瞬」で絶つ方法を、繰り返していく手段もあるでしょう。

 

一方で、何もしたくない「無気力」の状態を悲観などせず、気持ちが上向きになる時をじっと「待つ」、眉間のシワを伸ばしてゆるりと「待つ」気持ちを持ちましょう。

 

但し、自分とはしっかりと正面から向き合っていくことを続けて下さい!

 

2017年

9月

23日

現状を打破したいとき

自分の能力に限界を感じたり、発想に行き詰まったり、スランプに陥ったり、人は時として多くの壁に突き当たります。

 

こんな時、どう行動するかによって、人生が大きく変わることがあります。

 

噺家の立川談志は「飢え」と[寒さ」を弟子たちに強いて、芸と人間の幅を成長させたと云います。暖かく平穏で不自由のない環境では、人の才能は開花せず、大成した噺家にはなれないという、厳しい教えなのかもしれません。

 

感覚やひらめきを主とする人間の生業には、他人が理解できない「主観」の世界が必要になります。

この絶対的な「主観」を育てる為に「寝させない」「食べさせない」を強いて、限界に追い込み、ひと皮剥いて成長させ、感覚を成熟させる「形」が昔から存在しました。

 

誰もが持っている「本能的な能力」を目覚めさせ、開花させることを主眼に、五感を研ぎ澄まし、漠然とした「勘」の世界を深める修養です。

 

俗的なものを例えるなら、1キロ先の焼き鳥屋の臭いに唾が湧き、暗闇の中でも蚊が飛び交う姿を確認し、100m先の野良猫の呼吸を聞きわけ、山水の純粋な混じり気のない味に感涙し、冷気が肌をまとわり付く肌触りに爽快感を味わうような体験を重ねていくことです。

 

 この先に開花していくものが「人間の潜在能力」の世界です。

 

スランプから脱する

逃げ出せない「本番」に臨む

人生の一か八かの局面に立つ

勘を研ぎ澄まし動きを一新する

人生の未来を開く

 

それぞれの目標に向かって、隠れていた潜在能力を目覚めさせ、自信を持って命を大きく使っていく気持ちで、自己を開発してみましょう!

 

2017年

8月

16日

自意識過剰になりやすい人へ

自分を責めたり苦しめたり、こころの自由を奪うような思考が浮かんだ時「そうじゃない!そんなことはない!」という想像も同時に浮かび上がる「こころ」を育てましょう。

 

私は周囲の人から、どのように思われているか?

クラスの皆んなは、どのように僕のことを思っているのか?

会社の上司・同僚達は、どのように私を評価しているか?

近所のおばちゃん連中が、私についてどんな噂話をしているか?

 

「他人の眼」が気になり、学歴や仕事・家庭や家族・趣味や生活・プライベートまで関心を持たれているのではと思い、不安や恐怖に陥ってしまうことがあります。それが必要以上に「過敏」になると、監視されているような気持ちになり、耐え切れず人目を避け、こころを縛ってしまいます。

 

 ここで禅の世界で目指す「「無心」ということを考えてみます。

 

「無心」とは何も考えず、頭が空っぽになることではありません。

 

仮に「他人から悪く思われている」

「周囲の人から批判され、見下され、バカにされている」

「世間が自分のプライベートに感心を持ち、常に見られている」

などと、頭に浮かんだとします。

 

こんな際、それらを完全否定する空想も浮かんでくることが健全です。

「他人は誰も自分を悪くなど思っていない」

「周囲から批判などされていないし、見下しも、バカにもされていない」

「世間はそれほど自分に関心は無いし、周囲から見られてもいない」

 

そしてその結果、どちらの思考にも捉われず、不安に陥らない境地を目指す。どちらにも偏らず、真ん中の道を選択して悠々と歩める生き方……。

 

 これが「無心」であり「無我」であり「天心」となる方向です。

 

他人の眼・周辺や近所の眼を気にする余り、自分の行き場がなくなってしまったら、自分にとって良いことやプラス面も想像することの出来る「身体とこころ」を育てることです。

 

大切なことは「不快なこと・嫌なこと・マイナス的なこと」を連想し続けている「自分」の存在にまず気が付くこと…。

 

その自覚さえ出来れば「よい空想・よい想像・よい発想」の出来る自分を育てていくことがが可能になります。

 

自分の「良いところ」を見て「長所」だけを見て、まず生きる。

その良いところを伸ばすことに思考を集中させましょう!

 

2017年

6月

06日

湿度との付き合い方

梅雨の季節を迎え「湿気」に一日中、包まれる日が続きます。

 

蒸し暑い日が続くと、衣装ケースの中にカビが生えたり、洗濯物が臭ったり、鉄製品が錆び付いたりと、何かと支障が起きてきます。

 

人間のからだも呼吸器や肌、泌尿器や腎に影響を受け、だるくなったり、息苦しく感じたり、からだが重くなり「やる気」が出なかったりします。

 

梅雨が苦手だと敏感に感ずる人は、出来るだけ積極的に体を動かすようにして、だるさや重苦しさを感ずる人は、深呼吸を心掛けるようにします。

時々、通常の歩幅よりかなり「大股」で思いっきり歩くように心掛けると、臀部や坐骨神経周辺の筋肉の緊張が解けて、息苦しさが軽減してきます。

 

この季節、雨の中をレインコートを着て、ジョギングしているファイターを見掛けますが、汗の処理には極力気を付けるようにします。

汗を掻いてすぐに風に当たり、無理矢理に汗を引っ込めてしまうと、風邪を引いてしまう怖れがあります。汗をしっかりと出し切った後タオルで拭い、心拍数が落ちたのを確認してから、風に当たるのが良いでしょう。

 

ジョギングやスイミングなど運動した時間と同等の休息時間内に、発汗作用が続いています。

ご自分の「からだ」を観察してみて下さい…!

 

2017年

5月

31日

こころを弛ませる

 緊張の連続でコリ固まってしまった「こころ」を弛めようと、取り組む人々がいます。スポーツジムに通ったり、ヨガをやったり、瞑想や禅、岩盤浴やヘッドスパなど、リラックス方法はそれぞれです。

 しかし、天井のある場所で何かに集中していると、更に緊張を重ねてしまう心身的な性質を持つ人があることを知りましょう。

 

 梅雨目前の朝一番、山の農道を歩いていると、木々の葉の新緑が濃い深緑に変化していることに気付きます。アジサイも雨を待ち詫びて花を咲かせ、ウグイスはあちこちで鳴き声を上げ、小さい梅の実も地面に散乱しています。タチアオイが背を高く美しい花を付け、太陽に向かっています。川には鮎の稚魚が群れを成しています……。

 

 花の色・花の香り・風の音・鳥のさえずり・木々の葉の揺れる音・蝶の舞い・ツバメの飛行・川の流れ……季節は留まることなく変化しているのに、周囲の自然に眼を向ける時間さえ、無くしてしまっている人達。

 

 時には天井の無いところに出て「五感」にスイッチを入れて、何も考えず歩いてみませんか?何分間歩くとか、何キロ歩くとか、そのような窮屈なところは捨てて下さい。

 

 自然の空気に身を委ねて、肌で何かを感ずる余裕が生まれると、ふと心身から「浮いてくるもの」があります。頑なだった自分に気付いたり、ずっと一定の感情に捉われていたことに気付いたり……そこを大切にしていくのです……。

 

2017年

5月

11日

うつ的な身体

欝やノイローゼといわれるものは、欲求不満や自己否定などの心理的な精神現象から、心や感受性に歪みが生じた状態であると思います。

 

からだを観察していくと首と胴体の付け根の部分から下の背骨に動きがなくなり、硬直していることが分かります。具体的には胸椎の1番から5番の間に常に緊張が走り、可動性が無くなっています。

骨盤も絶えず緊張してしまい、ギュッと締まる状態が続き、これは頭の緊張が解けず、いつも何かを考え続けていたり、物事に捉われていることに違いありません。また仙骨周辺にも特徴的な変化が現われます。

 

特徴としてマッサージを受けたり、ストレッチやヨガなどで背骨を弛めようとしても、すぐに元に戻ってしまいます。

マラソンやトライアスロンが完走できる方が大量に汗をかき、ストレス発散して柔軟になったつもりでも、背骨が弛んできません。

温泉に浸かって「ほんのり」したかのようでも、やはり弛むことは難しいようです。

 

このような場合、患者さん個人の心理的な鬱散の仕方や、何らか進むべき取るべき方途を模索し「快」な処を探ることから着手します。

そして施術的には背骨胸椎の5番から上が弛むような誘導を施し、硬く引き締まった骨盤も、柔軟性とゆとりを取り戻せるようにもっていきます。

回復時間に長い短いの個人差はあるものの、続けていくことで良い結果が得られるものです。

 

背骨が閊えているという「自覚」が生まれると回復が始まりますから、眼を静かに背骨に向けていくという作業をしてみましょう……。

 

2017年

4月

27日

パートナー

日常生活の中で、合理的な生き方が性に合い、物事を決定する際には損か得かに敏感で、計算尽くされた行動を、常としている人がいます。

利害に頭が働き、経済的感覚にも長け、段取りが得意な性格です。

 

BS「強欲時代のスーパースター(ドナルド・トランプ)」の映像を観る限り、トランプ大統領はこの資質を主体に生活している方です。

 

人間は利害損得を離れた「情」という感情を持ち、情に厚い・情が深い・情にもろいなど、心温かい感情や行為を有するものです。

お金では動かない「仁や義」の世界や「このまま放っておけない……」という心から出る優しさでしょう。

 

ある奥様が「さくらの花が生き生きとして素敵ね……」とご主人に声を掛けると「見れば分かるだろ……」と一言で片付けられました。一事が万事で、生活の中で「情」の温かさを感じず、奥様は離婚する道を選ばれました。

「釣った魚に餌はやらない…」という言葉も、この合理的な人を表現した言葉です。

 

からだを丁寧に観ていくと、特徴的に「情」という感覚にうとく、人の気持ちや心遣いを「汲む」ということに価値を置かず、「情緒に欠けた」一面を持っている資質があることに気付きます。

 

ある日、Eさんが不慮の事故で亡くなった同級生の葬儀に参列しましたが、成績優秀で大手企業に就職したエリート同級生も顔を出しました。

計算に長け、人に対して何となく冷たく、友人や慕う後輩が少ない彼は、帰りの偲ぶ会で「そんなに悲しいの…?何故そんなに落ち込むの…?」と級友に発言しました。

 

このような人を前にした時「怒りや憤り」が遮る前に、生まれもっている性質として「人の情や気持ちが理解し難い……」と思い浮かべることです。

本人に悪気があるわけではありません。情においての「色盲」と云えるかもしれません。

人生での中で経験や学習を重ねても、人に対する「情」や「感受性」というものが、なかなか育っていかない気質があるのです。

 

距離を置きたくなる様な人を、一歩下がって観察理解し、性質の長短を見極め、少しでもその人を「認める」という度量が自分の内に育つと、湧き上がる感情に振り回されずに済むようになってきます。

 

仕事や人生のパートナーを考える時、金儲けや損得に長ける人か、温かい情や信頼感を優先するのか、ご自分をもう一度見つめ直してみましょう…。

 

2017年

4月

13日

発熱という現象について

季節の変わり目、風邪やインフルエンザなどに罹り、発熱する人を多く見かけます。体内の免疫機構が、外部から侵入してきた菌やウイルスと戦っている状態ですが、整体的な見方からは更に一味違う角度も加えられます。

 

 発熱は体内の「余分なエネルギーの発散」としての役割もあります。

 

食べることに対しての欲求が強く、不摂生で太りすぎていたり、スポーツや体を動かす作業などでエネルギーを消費していないと、栄養過度を調節しようとする発熱を引き寄せることがあります。

身体自体が風邪を利用して、健康体に向けて調整しているとも云えます。

 

体温計が38℃~39℃台を指すと、驚いて動けなくなってしまう人が殆どですが「余分なエネルギーの発散」ということを考えると、寝てばかりではなく、可能な限り動ける範囲で動いてみます。無理をしない程度に動いてみると、割と動けることに気付くはずです。

 

そして「発散」ですから強引に食べたり、栄養を摂る事は極力慎みます。

 

熱が高い期間は起き上がり動けるものですが、注意が必要な時期は熱がピークを越えて、平熱よりも下がった時です。この時期に入ったらはしっかり布団に入って睡眠を取り、体温が回復するまで待ちます。動き続けては養生できませんから気を付けましょう。

 

早く熱を下げ回復したいという気持ちや焦りは、仕事優先の環境ではありがちですが、自発的な治癒力が発揮されると、病後の立ち直り方が違います。

 

体重が減ることは当たり前ですが、以前よりスッキリと爽快で、体調がすこぶる良い事を自覚できるようになります。

「何だか生まれ変わったようだ」というリフレッシュした感覚を持てる人もいます。

 

薬漬けの医療の現状に何か疑問を感じたら、ご自分の身体を信頼し、取り組んでみては……と思うのです。

 

2017年

4月

08日

背骨で呼吸する

疲れた時、だるい時、心が不安定な時、からだに異常感がある時、気持ちがまとまらない時、静かに背骨で呼吸してみる。

腰まで吸い込んで、吐く方はだだ吐く。

特別に意識しない。

 

背骨で呼吸するといっても捉えどころがなく、理解できないという人がいるが、それを捉えた人は皆、活き活きとしてくる。

顔が以前と全く異なってくる。

腰が伸びる。

 

なぜだろう?

平素バラバラになっている心がひとつになるからかもしれない。

脊髄の生理的な働きが高まるのかもしれない。

 

ともかく、人間はこういう訳の分からぬことを、一日の内に何秒か行なうと気付きが起こる。

頭で分かろうとして努め、分かってから、分かったことだけを行なうということだけでは、いけないものがある。

 

自分のこころが静かになった時、自分のこころに聞いてみる。

からだで感じてみる。

 

野口晴哉

 

「温故知新」先人の遺した身体の使い方、からだの用い方を改めて実践してみましょう……!

 

2017年

3月

16日

自然(じねん)の美

高山植物の花の美しさは無二のものです。

 

岩場の殆ど養分の無い、限られた環境の中で、見事な一輪を咲かせます。

沈黙の佇まいの中に「天を抜ける」美しさを感じます。

 

余分なものを必要としない、余分なものを足さない、知識に捉われないままの「美」が存在しています。

 

人間もまた感覚が研ぎ澄まされていくと、食事中の一口が多かった、おかずの一切れが過剰だったと、感ずることが出来るようになります。

 

栄養学で、このビタミン摂取が必要だからとあれこれ揃えても、身体がおいしく感ずるかどうかというものは別物です。知識で固めた食事は果たして体内で栄養として消化されているかどうかは分からぬものです。

 

今これが食べたい、からだがこれをが欲している…という感覚に敏感になると、人間に備わっている自然の「美しさ」が表に出てきます。太りすぎることもなく、痩せすぎることもなく、化粧で化けたものではない、その人の「美」が輝き始めます。

 

からだから湧き起こる感覚を信じ、その感覚に従い、自分を優先する勇気を育てていくと、いつしか自分を愛しく感じ、他人に対しても優しく接していける「心」が宿ってきます……。

 

2017年

2月

27日

身体が弛む季節

春先という時期は、一年を通して最もからだが変化する時です。

 

冬の寒い季節から、からだの緊張がほぐれ、頭の後ろの「後頭骨」が弛み、「肩甲骨」が外に開き、「骨盤」も弛み始めます。冬の寒さに適応していたからだが暖かい春、そして夏に向けて汗を搔きやすい身体への準備を始める移行期です。

 

この春先に体調を崩したり、不調を訴える人が多いのも、からだの変化に関係しているものが殆どで、腰が痛むという訴えも、骨盤の変化に伴って「痛み」を感じている場合が多々あります。

 

また春先は「毒出しの季節」と昔の人は表現していました。

からだが弛むと同時に、体内に潜んでいたものが外に出てくる現象で、皮膚に痒みやアレルギーが出たり、目の周辺から膿が出たり、黄色い鼻水が出てきたり、耳垂れが止まらなかったりと人様々です。

 

からだの内部から、不必要なものを捨てる排泄現象です。

 

あわてて医者に行き、薬などで症状を止めてしまうと、体内にある毒素を排泄できずに、からだはリフレッシュされません。からだ自身が春を迎え、排泄する力を発揮して「毒出し」をしているのですから、怖がらずに出し切る時間を待つ……。

これはリニューアルした健康なからだを得るために、じっと辛抱することを覚える時期かもしれません。

 

痛みや痒みが酷い時には、繰り返し「蒸しタオル」を患部に当て、症状を緩和していくと、待つことが出来るようになると思います。

 

出て来た症状に、驚かず恐れず「静かな心」で対峙してみましょう!

 

2017年

2月

11日

帯状疱疹をやりきる

Yさんは、どのような姿勢をとっても、お腹の水落ち辺りが痛み、就寝中も痛みが消えず、背中にも痛みが走る経験をしました。痛みが強くなり、我慢できないところで内科を受診しました。

筋膜疼痛」という診断でしたが、本人は無理な運動をしたり、体を動かした心当たりがなく、医師の言葉に違和感を感じていました。

 

どのような姿勢を取っても痛みが消えない場合「内臓疾患」を疑います。

 

三日後、赤い小さな発疹が胴体の片側に出現し、もう一度受診すると「帯状疱疹」という診断がされました。帯状疱疹の激しい痛みは、発疹が現われる前から起こり、医者も診断には苦労するようです。

 

発症する直前Yさんの状態は、仕事への不満や人間関係における我慢が「忍耐と憤り」の限界を越えた……と感じていたそうです。強いストレスが発症の引き金になることが分かります。

 

子供の頃に罹った「水疱瘡」のウイルスが体内の隠れていて、再び暴れだすことが原因とされていますが、整体的な考え方では、からだの免疫力を改めて高め、股関節を整え、更に丈夫な身体になる為の「通過儀礼」のようなものとして、病とは診ません。

 

水疱瘡(帯状疱疹)は本来、何もしなくとも安静にして、十日間くらいで水泡からかさぶたが出来て、約三週間ほどでかさぶたが剥がれて完治する病気です。

 

Yさんは薬に依存することを止め、自分のからだの「回復力」を信じ、勇気をもって自己治癒の道を選択しました。ここでは自己免疫力の高まる施術をして、自律神経を整えることに集中します。

 

激しい痛みと水泡が引くまで、耐えること約三週間、からだが自らを整えていく貴重な時間です。病気の回復を急ぐのではなく、身体の波に合わせて免疫能力が整うことを「待つ」という作業です。

 

Yさんは現在、今まで以上に心身が爽快になったと感じ、無事に職場復帰されております。「待つ」ことを実践された精神力に拍手です……。

 

2017年

2月

03日

生命の勢い

椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症と診断された、筋骨隆隆の中年男性が訪れました。診断結果を受け、精神的に落ち込んでいるご様子でした。

 

十代の頃から鍛え始め、ジムでバーベルを上げる他、重い荷を背負いながら山を駆け登るという、自己流で築き上げた筋肉がご自慢です。

 

しかし、トレーニングしていないと筋力が落ちてしまうという「不安」に駆られ、痛みがあっても必ず、頭が真っ白になるまでやり続けるという、激しい「勢い」を持った方でした。

 

胸板と二の腕、太腿が極端に発達し、逆三角形のプロレスラーのような体格ですが、全体の筋肉の大きさに比べて「お尻」が小さく、バランスから見ても貧弱に映りました。指摘すると、下半身を中心に鍛えていると仰います。

 

病歴をお聞きすると二年前「肺炎」で二週間入院されたとのことでした。

 

 「お尻」はその人の生命力や、呼吸器の強弱を現しています。

 

呼吸器の弱さは想像できましたが、あわせて重心の位置が筋肉で盛り上がった上部にあり、強そうに見えるだけで脆さがあり、もっと重心が下がれば、自然と臀部も発達し「丹田」の力が使えるようになるだろうと思えました。

 

トレーニングが生きがいと仰るので、大きな「お尻」を育てるために「四股踏み」をお薦めしました。安定した足腰を作るためには、相撲の稽古が一番であると確信しています。実際にやってみると全く四股が踏めないご自分に驚きを隠せません。外見ばかりに気を取られて、中心の軸を支える筋が未熟なのです。

 

近い将来、柔軟な腰と大きな尻が出来上がると、腹に重心が下がり、取り付かれていた「不安」も湧き上がって来ない心身が育ってきます。強迫観念から離れることができます。

 

千代の富士のような天下一の「四股」を目指し、弾力のある足腰と股関節を育ててくださいね!

 

2017年

1月

30日

母親としての感覚

何かの用事で丸一日、赤ちゃんや幼い子供から離れていた時、帰宅して子供を抱き上げると「フッ」と軽くなった…と感じたことがありませんか?

 

ミルクや食事をしっかりと与えているにもかかわらず、体重が軽くなったように感ずる……。敏感な母親であれば、少なからず野生の本能的な「勘」が働くものです。

 

赤ちゃんや乳幼児は言葉が話せない分、特に母親からの「気」を感じながら生活し、母親の「気」を本能的に求めながら成長していくものです。

人間と同じ哺乳類の動物の子育ても、雌親がずっと子供に寄り添って「気」を掛け続けています。子供は親から「気」を向けられていることを敏感に感じ取っているのです。

 

軽くなった?と感じられるのは、子供に掛けられた「気」が充分でなかったからです。母親から向けられる「気」が満たされていなかったのです。

室内で飼っているペットのネコや犬でも、暫く離れた後、抱き上げると同じように軽く感じることがあります。

 

赤ちゃんや子供に真正面から向き合い「気」を向ける、母親が子供に「気」を集中させることが、子供をよりよく丈夫に成長させるものです。

 

家事や用事は二の次に、まずは子供を最優先にして、我が子に「気」を向けて下さいね……!

 

2017年

1月

20日

かたつむりの歩み

 『かたつむり 富士に登らば 登るべし

          精神一統 何事か成らざん』  山岡鉄舟

 

鉄舟の書、蝸牛が「富士を登る」という短歌が手元に届きました。

武士道における「死にもの狂い」で物事に臨む、姿勢や心意気が伝わってきます。

 

明治を生きた人々は「人間は背骨である……」と語っていたと聞きます。

背骨で行動・腰で決断せよと云うことでしょう。

 

マッチョな筋肉や見栄えだけの外見を鍛えることではなく「」を入れて物事に向かい、背骨を生かして我の目指す「」を進む。そこに迷いや不安が浮かんで来ることはありません。

何事にも動じない「」を育て、肚を用いて歩んでいく事です。

 

他人からどう見られるか、世間体からどう批判されるか…などと、自らが作り出している妄想に捉われている自分から離れましょう。

肚の底から沸き上がる「要求」を感じることが出来たならば、己のゆるぎない「」に従って、恐れや心配等の感情を外してしまいましょう。

 

たとえ不器用で冴えなくとも、のろくても、結果がすぐに見えなくとも、欲するところを探求し続けることが、自分の命を生かすことに繋がります。

 

自分が生き生きと輝き、何よりも気持ちが良いと体感できる「生き方」を歩むと、そこに充実感という金銭で買えないものを感じてきます。

 

自分に無理がなく「」な気持ちで道に没頭し、歩み続けていける事こそ財産です。お金を稼ぐだけで「こころ」が満たされていますか?

 

2016年

10月

31日

余分な努力と頑張り

スポーツの練習に[努力」という二文字は、不可欠で大切なことであるとは、誰もが認識するところです。

特に高い成績を望む場合、自ずから努力を重ね、精進していく重要性を強調し、その努力を「強いる」保護者や指導者も目にします。

 

しかし「努力」や「頑張り」だけで築いたものには、限界があることを知るべきです。

 

目的の為だけに、同じ動作を繰り返し、絶えず動かして使うことで成長させた筋肉は、偏った疲労を起こしやすく、伸び縮みの幅が狭くなり、委縮しやすくなります。

勿論、運動後のアフターケアーはしているのでしょうが、努力だけで動かしている人の筋肉は、触ればすぐに判ります。

なぜなら、努力で作られた筋肉は、硬張っているからです。

 

指導的立場にいる人は「努力」や「頑張り」にまさる良い方法や、からだの使い方に気を配るべきです。

 

人間は「興味」さえ持てるようになれば、やめられないし、眠ろうとしても目が冴えて眠れなくなります。集中することが苦でなくなり、何時間でも続けられ、疲れを感じません。

 

興味をもって取り組めさえすれば、気張りや頑張りの「力」ではなく、自然体による柔軟な心身が築かれていきます。

 

努力で作った筋肉と、興味をもって取り組んだ結果の筋肉との差は、歴然と現われてくることでしょう……。

 

2016年

10月

27日

腰の力と行動力

考えたことを行動に移すという原動力は「腰の力」ということをご存知ですか?腹筋運動が何回できる、背筋運動が何回できるというような、筋力の話ではありません。

 

人間の腰の骨は全部で五つありますが、特に弾力があって反りがあることが、とても大切です。

 

もし腰骨の上、一番から三番までの間が硬張っている人がいたら、ああしよう、こうしようと思っていながら、行動に移すことが難しい人達です。

言葉では「明日からやろう……」などと言っていても、現実にはやれない。

物事を決断し、実際にやることが困難な身体になっています。

 

また、腰骨が飛び出している様な人を見掛けますが、考えたことを行動しにくい状態だと見ます。

頭の中で何かに取り組もう、何かを始めようと考えて決心したように見えても、それは頭の決心だけで行動が伴いません。

 

あれだけ宣言していたのに、何もやれない、行動できていない、裏切られた気持ちになった……などという経験はありませんか?

 

その人の言葉の本気度を知るには、その「腰」に触れてみる。

 

信頼していいのか、その言葉をまともに受けていいのかどうかを判断するには「腰」を観察してみる。

 

あなたの人を見る、判断基準のひとつに加えてみては如何でしょう!

 

2016年

10月

25日

「気力」を抱く

出来る事をやるには、気力は要らない。

要らないときには気力は生じない。

 

出来ないことをやろうとする時には、気力が要る。

だから出来ないと思われたことに、出来る可能性を見出しただけでも、気力はもり上がる。

 

出来ないことをやって行こうと決心すれば、気力は満ちてくる。

出来るようになったらやろうと考えていると、気力はなくなる。

 

気力があると疲れない、飽きない、体の力はフルに発揮される。

だから体の異常は正常にかえり、眠っている部分は目覚め、古くなった体にも新しい息が生じる。

 

気力を保つことほど、健康を保ち、体力を湧き起こすものは他にない。

 

どんな健康法も、不可能に挑むこと以上の「力」はない。

 

                               晴 哉

2016年

10月

16日

「鈍さ」を知る

若い頃、どちらかというと神経過敏で病気がちだった体質の人が、歳を取るにつれ、体が頑丈になって病気をしなくなる。

神経過敏傾向が反対方向に変化し、筋肉は太く立派になって、逞しくなり、からだ全体が硬張ってくる。

 

「四角い体」になっていくことは男性だけでなく、女性にも多く見られる事で、知覚や身体の反応が鈍くなり、本人の知らぬうちに「病気」を抱え込む傾向が強くなります。

 

あれをしよう、これをしようと思っていても、なかなか行動に移すことができず、また絶えず小さな怪我をしたり、物にぶつかったりする。

外からの刺激を敏感に感じない、感じても動けないからだになっている事に気付かない。

病気にならない、風邪も引かない、それでいて健康な訳でもないという人達は、突然倒れるという特徴があります。

 

からだは頭で考えるよりも先に、無意識に下痢をしたり、発熱したり、痛みを出したりして内部を調整していきます。これは敏感に反応する身体の免疫防御活動であり、抱いた負の感情のコントロールでもあります。

 

このような反応を病気だと思い込まず、からだ自身がせっせと働いてくれているんだ……と思えるようになると「健康」に対する概念が変わってきます。からだの自然な反応に対して「恐れや不安」がなくなり、からだへの信頼に繋がっていきます。

 

もしも自分が「四角い体」になってきたら、自身の感覚をしっかり使いこなせ…というサインです。

自然に現われるからだの反応を無視せず、同時に我が身を省みて、からだと意識の繊細さを取り戻していきましょう!

 

2016年

10月

02日

我慢と忍耐

「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ……苦しさ辛さを簡単に顔に出すな!男なら笑顔で耐えろ……」

 

昭和の時代「根性」という言葉がもてはやされ、運動系・武道系クラブではシゴキといわれる練習や稽古が、随所で行なわれていました。

ある者は泣き出し、倒れ、ボロボロになって逃げて行きました。

 

自分の肉体的・精神的能力の限界を越え、ひと皮剥けて成長するためには、有意義な手段であったかもしれません。

 

やがて大人に成長し、会社や組織に就職して、家庭を持ち、守るものが出来ると「理不尽や憤り」に接しても絶えず我慢し、仕事を続けてきた方々をお見受けします。

気が付けは体調を崩し、入院や休職、転職を経験される方もあります。

 

「我慢」というものはいずれ爆発する、時限爆弾のようなものです。

我慢をしている人は、背中で我慢を背負っています。

背中でする我慢は、長く耐えるということが出来ません。

そこに無理があれば、同時に身体を壊していきます。

 

弾力のある腰を持てるようになると「忍耐」が出来るようになります。

何事にも動じない「肚」ができるのです。

嫌なものに捉われず、影響されず、受け流せる力が宿ります。

「忍耐」は時間の概念を忘れて、継続していけるものです。

 

頭で意識する力を緩め、深い呼吸をして、腰を立てて坐ってみましょう。

腰が反り、腰が入ってくると心身が変わってきます……。

 

 「我慢」と「忍耐」は違うものです。

 

自分が我慢を続けているのか、忍耐しているのか、違いを感じて下さい。

忍耐の出来る「からだ」を目指したいですね……。

 

2016年

9月

28日

からだの波に触れる

生き物には身体の波という、自然のリズムがもともと備わっています。

調子の良い時と悪い時ではなく、活動期と休養期といった感覚です。

 

海の満潮と干潮、月の満月と三日月などの周期的なリズムと似ています。

からだの波は七日七日や約三ヶ月ぐらいの中波、約三年半ほどの大きな周期の波もあります。

 

「低潮期」には身体を休めたくなり、眠りも長い時間になります。

食べる量が多くなり、ゆったりしてイライラすることが少なくなり、過去の事がよく思い出されるようになります。

 

入浴で気付くことは、肌が弛み、水の切れが悪く、風呂上りに水を弾かない気がします。髪の毛が柔らかくなり、声も細くなる感覚を持ちます。

呼吸は息を吐いている時間が長くなります。

 

オリンピック選手が競技当日「低潮期」に入っていたら、実力を発揮できず、記録は望めないかもしれません。

誰もが自然のリズムからは、逃れられない宿命があります。

 

一方で「高潮期」では、やり過ぎて失敗したり、勢いで高額の買い物をしてしまったり、運転中スピードを出し過ぎてしまう等、自分にブレーキが効かなくなることがあります。また、ゆっくり休むということが出来ません。

 

感情が爆発するとか、事件や犯罪を起こすとか、意地悪や八つ当たりをしたくなるようなケースも高潮期の現象です。

 

自分の波のリズムを掴まえて、からだを楽な方向に少しずつでも操縦できるといいですね!

 

2016年

9月

26日

望む人には訪れる

「もう歳だから……」

年齢を引き合いに、自分が行動に移せないことを庇う人がいます。

 

何かを始めようとする心があっても、周囲から「五十の手習い」などと囁かれる方が気になり、足踏みや自分を抑えつけている人もあります。

 

年齢ではなく、気力や勇気・行動力や判断力が発揮できない人は、腰が開いて落ちた人々です。

 

年老いて施設通いで暮らすような人生を、ご自分で選択している方もいれば、盛んに物事に取り組まれる諸先輩もいらっしゃいます。

陶芸・書道・合唱・絵画・水泳など、自分がそれまで接しなかった物事に挑戦し、生き生きと暮らしておられます。

 

老いるとは「物事に対し、興味の無くなること」です。

興味や喜び、嬉しさや面白さを感じなくなったら、四十でも老人です。

 

花の色、花の香り、鳥や虫の声、川のせせらぎ、風の流れ、雨の香り、木の葉の色の移り変わり等など……見るもの、聞くもの、触れるもの、すべてに興味があるという人は、天寿を全うするまで、若さを保ち続けます。

 

平凡なし。

無駄なることなし。

つまらなきことなし。

不可なることなし。

 

2016年

9月

23日

怪我の巧妙

ケガを「怪我」と書いて「我を怪しむ」と読みます。

 

ある日突然、階段を踏み外して滑り落ちたり、転倒して骨折したり、怪我をして痛い思いをした時こそ、ご自身を見つめ直す良い機会となります。

なぜ怪我を負ってしまったのか、その当時のこころの状態を分析すると、起きるべくして起きた事故だと「腑に落ちる」現象があります。

 

交通事故でさえも、人は偶然に起きたことと思いがちですが、人間のからだを診ていくと、そこには偶然起こったものとは違うものが働いていることがあります。

それまで言葉に出来ない「不満」を溜めていたり、意識の中で凝固してしまった感情であったり、力を鬱散してリセットする時期であったりと……。

自分の中で自分を壊していく発散していく身体からの欲求が働いていることがあるのです。無意識で働く「力」の存在です。

 

怪我をして、自分の感情の処理がスッキリ付いた場合など、すこぶる早い回復力を発揮します。体を痛めたとしても心では、なぜか爽快な気分になることさえあるのです。

 

怪我をした時こそ、ちょっと立ち止まり、我を省みる。そしてその怪我をプラスとして活かしていく……。

自覚ができると怪我した後は必ず、からだは良い方向に向かっていきます。

 

「怪我」は偶然ではないことに、気付いてみて下さい!

 

2016年

9月

15日

本気で自分と向き合う節目

歩んでいく道を自分と向き合いながら「答え」を出していく作業を疎かにして、生きる勢いが若い頃とは違う、四十代前後から「うつ傾向」に陥る人が増えています。

 

自分の生きていく「要求」を他人に合わせたり、流行に合わせることなどを捨て「これが私…これが私の生き方」というものを、本気で捉える作業がとても大切です。

 

「これが私…」がはっきり掴めると、他人に理解されなくとも心が動じなくなり、一人で居ても寂しさに支配されず、平常心で自分を高めていけます。

 

自分さがし」などという言葉で、職場や居場所を転々と変えていく人達がいますが、裏には無意識の「不安」に絶えず付きまとわれ、厭きたら他へ行けばいいや…という欲求が働き続けます。

 

海外などで仕事を転々とし、それがステイタスであるかのように思っている内に、気が付けば中年を迎え、自分が「空っぽ」であったことに気付く人もいます。

 

 友人が近くにいなければ孤独や不安に陥り「肩書き」がなければ立っていられないという心理状態は、何かに寄り掛かっていなければ倒れてしまう、不安定な危うさと弱さが同居している状態です。

 

「年齢が幾つになったからといって、遅いという事はありません…」

まず自分と対話して、自分の本当の欲求、本当に得ようとしているところ明確にしていくことです。

 

時間を掛けて、自分の内面に向かっていく行動を起こしましょう!

 

ゆるぎのない自分」に逢えさえすれば、それで良いのです……。

 

2016年

9月

04日

からだは先を知っている

明日の有ることを信ずる者は 今日だけしか無い生き方はしない

 

百年の生を想像し得る者は 三十年の生しか信じ得られぬ者とは     行動が違う

 

来世を信ずる者は この世限りと思っている者とは 行動が違う

 

来世が有るか無いか 明日が有るか無いかは判らないが その心によって 行動が違うということは判る

 

明日を信じ得る者は 豊かで暖かな生を得る

 

今日だけしか無い 人々の生活は乱れる

                             晴 哉

 

               野口晴哉先生